伝統産業・伝統物産

京都の伝統産業:五条坂の陶器市

京都の伝統産業:五条坂の陶器市

 

京都の伝統産業の一つに、清水焼があるのは皆さんご存じかと思いますが、私は、それが京都のどの地方で始まったのかを知りませんでした。京都と言えば、もう5回以上は訪れていたのですが、特に陶器に関心がなかったせいかもしれませんし、その陶器市が真夏の8月上旬だったことから、時期を逃していたのかもしれません。

 

さて、清水焼の発祥の地は五条坂だったのですが、ここは、清水寺を東に見ながら、西には加茂川の水が流れる山あいで、その発祥以来、現在も陶芸作家や窒元、卸問屋、小売店が並んでいます。清水焼の陶器がこの道すがらにたくさんならんでいるのですが、はるか向こうの清水寺に気を取られていた若き日々を思い出し、残念になるほどです。

 

この五条坂の陶器祭りは、大正9年から始まっていると言いますが、最近は規模も人手もわが国では最大と言われるほどになりました。五条坂の道に並ぶ出店は約500店舗にも及び、特に掘り出し物を探す人々が全国から集まり、そのにぎわいは伝統産業の力強さを感じるものとなったのです。

 

しかも、この五条坂の陶器市が、夏の盆の時期に行われるにはゆえんがありました。「六道珍皇寺」というお寺に、精霊さんを迎えに行く人々や大谷本廟(西大谷)へお盆の墓参りに行く人々が五条坂を通っていたからなのです。その際、一級品にはなれない作品を売り出すことで、この陶器市が始まったのですが、現在は、陶芸を目指す若者の作品も多数展示されるようになりました。これは、清水焼が若い世代に引き継がれる伝統産業になったと言えるのではないでしょうか?

 

北海道の伝統産業:雄武(おうむ)産塩さけの切り身

北海道の伝統産業:雄武(おうむ)産塩さけの切り身

 

北海道の秋鮭を以前もらったことがありました。札幌の友人からですが、彼が自慢する秋鮭が雄武産の秋鮭でした。他にも秋鮭から様々な製品を加工製造しているのですが、ここではやはり、秋鮭の切り身がお勧めです。雄武という地はオホーツク海沿岸に位置していますが、ここで良質な秋鮭が水揚げされ、水揚げ後すぐに、雄武漁協直営工場で下処理をして、急速冷凍がほどこされているのです。漁獲量は年間20万トンだそうですが、では、秋鮭とはどのような特徴があるのでしょう。

 

秋鮭は、若い魚が多いと言われています。つまり、身に脂肪分が多く、おいしいのですね。それを衛生的に加工することで、安心・安全な雄武産秋鮭切り身が出来上がるのです。漁獲時期は9月から11月ですが、全国的に一斉に秋鮭漁が始まることから、この地でも漁業に携わる者は一番忙しい季節になります。雄武町の鮭はほとんどが生きたまま水揚げされ、そのまま冷凍されますので、鮮度は抜群なのです。

 

ところで、今、スーパーには様々な鮭が切り身になって売られていますね。これらは、ベニザケ・ギンザケ・キングサーモン・トラウトなどで、値段も手ごろかと思いますが、外国産がほとんどです。すべて、カナダ・アラスカ・北欧・チリなどからの輸入品であるとのことでした。一方、雄武町の秋鮭は、アキアジ(秋味)とも呼ばれるシロ鮭なのです。身の部分だけではなく、骨も顎も内臓も無駄なく使えることから、出所が安心なこともあって、人気の鮭なのですね。

 

では、まちがえないように、ここでは鮭の種類をちょっとだけご説明しましょう。

・ベニザケは、体全体が赤いので、切り身も赤みが強くさわやかな色です。

・ギンザケは、元は日本にいなかったのですが、現在は、三陸海岸に。チリでは養殖をしています。

・トラウトとは川で暮らす鮭マス類のことですが、スーパーのものはノルウェーやチリでの養殖です。

・シロザケ(秋鮭/時鮭)にはビタミンDが豊富ですが、カルシウムが欲しい人にお勧めです。

同志社大学院の「革新塾」というビジネス

同志社大学院の「革新塾」というビジネス

 

 

伝統産業についてのビジネススクールがありました。「革新塾」という名称ですが、同志社ビジネススクール(DBS)で20074月より「伝統産業グローバル革新塾」なるものを知ったのです。ここでは、伝統産業に従事する若手経営者がビジネス教育を学ぶ事が目的になっています。同志社と言えば関西ですが、したがって、ここでは歴史ある京都の伝統産業を、「和」をベースとした文化ビジネスに再生することを試みているわけです。

 

 

そのうえ、この文化ビジネスを海外へと広げることにも取り組むことから、グローバルな新しいライフスタイルが京都の地にも誕生するかもしれないと言われています。日本文化は、いまやアニメや漫画などで世界では中心的な地位を確保しました。でもなぜ、京都などの伝統文化は世界へ広がることができなかったのでしょう。

 

 

それは、伝統産業がこれまでは「横」への展開、とくに海外市場への展開を考えることもなく、現在に至ったことも要因と言われています。これを改革しない限り、伝統文化の将来はないと言っても過言ではないと考える、これがこの革新塾の理念だと言うのです。

 

 

それにしても新たな文化ビジネスとは、例えば京都がはぐくんだこれまでの歴史があればこそ存在するものです。そこに現代性を加味してこそ、海外にも受け止めてもらえる文化になるのだと考え、まずは、それぞれの伝統文化について徹底的に学び、その中で見えてくる現代性との接点を探すことになります。こうすれば、伝統のみなもとを残しながら、現代に通じる文化が新たに誕生するのではないかと期待されているのです。

「伝統産業グローバル革新塾」の面接体験談

「伝統産業グローバル革新塾」の面接体験談

 

同志社大学院のビジネススクールが産官共同で実践している「伝統産業グローバル革新塾」に興味があった人が、ある日、面接を受けたというお話、興味がありました。その体験をお伝えしようと思います。一次試験としての書類選考にパスしないと面接は受けられないのですから、まずは、いさんで面接会場へ。

 

 

早めに付いたので、待ち時間に心は落ち着きました。でも他に面接者が居ないというのはちょっと不安でもありましたが、この理由は後ほどはっきりしました。通常の面接は日曜日だけとのことで、その人はどうしても日程の調節がつかずに平日にお願いしてあったからでした。その点、事務局の方の親切さに感謝した次第です。というのも、どうしてもこの「革新塾」が魅力だったからでした。

 

 

25分も早めに到着し、面接は30分で終わりました。京都は東京などと比べると、時間の進行に比較的のんびりしていますが、これは、長所でもあり、短所でもあります。これからの京都の活性化を目指す場合、生活全般のセンスというか、意識なども改革することが求められるのは当然ですが、温かさを残した伝統産業の活性化が、自分の望むものだと、この筆者がはなしてくれました。

 

 

それにしても、一番実感したのは、伝統産業を世界に羽ばたかせる意欲についての質問の際でした。英語が出てくる質問?面接の際に、コントリビューションと言われたこの人、その意味がわからなくて、困ったと言うではないですか?コントリビューションというのは、「社会貢献」という意味ですが、伝統産業を広めるビジネスに、この意識は欠かせないものだと改めて認識したとのことでした。伝統産業の未来が楽しみになってきた私でした。

 

伝統産業を愛でる心

伝統産業を愛でる心

 

伝統産業と言えば、どうしても京都が浮かび上がります。千年の都と言われる京都では、これまでに育まれた「ものづくり」の技を心には、現代人の心に響く、ニーズのあれこれを含んだ魅力的な仕事があるとして、『京の着眼力 小さきを愛でるこころ』と題する本が出版されました。 

 

 

これは、1011日毎日新聞の地方版に紹介されているのですが、出版社は京都・読書乃森社で、谷口正和監修の編集は、京都ブランド研究会DIK編集となっています。価格は2625円ですが、企画担当に、京都の伝統産業の作家、経営者、大学教授などが携わる「京都ブランド研究会DIK」という組織です。ここでは、すでに6年ほど前から、京都という地域のブランドのあるべき姿を求めて、意見交換、その探求などの研究活動がなされていました。 

 

 

ですから、この本に登場する人と言えば、伝統産業の職人、アーティスト、プロデューサー、研究家など、様々な分野の人です。彼らは、立場こそ違いますが、ものづくりへの熱い思いを語ってくれているのです。 

 

 

その一部をご紹介しますが、語る言葉の含蓄を皆さん味わってみませんか?たとえば、金属工芸家の植田千香子さんは「年齢をかさねるごとに、『できることが増えるのではなく、できないことが分かってくる』、あるいは、東洋文化研究者のアレックス・カーさんは、「アジアのるつぼ的なものに、都としての洗練さが加わり、京都文化が生まれた」と述べています。私は、ものづくりが大好きですが、京都のものづくりの層の厚さや奥深さを再認識した思いがしました。京都というところは、「感謝と祈りと供養」なくして、伝統産業は続かないとも思ったのです。

 

伝統産業:別府の竹細工

伝統産業:別府の竹細工

 

別府と言えば、江戸時代から日本一の温泉地として有名ですが、まさか竹細工も有名だなんて、私は知りませんでした。この地の竹細工の起源は、日本書紀に寄ると、12代景行天皇が九州熊そ征伐の帰りに別府に立ち寄り、この時、お供の膳伴(台所方)がこの地に多数生えているシノダケに目をつけたというのです。彼がここで初めて、メゴと呼ばれる茶碗籠をつくったと言われています。

 

 

 

本格的な工芸品になったのは室町時代ですが、特に、行商用のかごが製造販売され、竹細工の市場が出来上がったのです。温泉街として各地から別府への湯治客が増え、別府に滞在する間に使う飯籠、米あげ笊など、竹製の生活用品が売買されるようになりました。さらに、竹製品は湯治客の土産品としても人気が高く、市場は拡大し、別府の地場産業になって行ったのです。

 

 

その後、明治35年には竹工芸の近代化に伴い、技術者育成を目的として別府工業徒弟学校が創設されました。全国から多くの職人が集まることで、今日の優れた製造技術が発展していったのです。さらに、昭和13年には大分県工業試験場別府工芸指導所が設立されたのですが、ここは日本で唯一の竹工芸の専門訓練校として、現在までに多くの技術者を生み出しております。

 

 

 

ところが、そこまでは順調だった竹細工も安価なプラスチック製品により、その流通が陰りだしました。ですが、長い歴史を持つ別府の竹細工は、市場の変化に器用に対応しながら、高級竹製品などを製作して、日常の生活用品とは一線を画するようになったのです。こうして、これまでの大衆工芸とは異なる美術工芸という分野で、優秀な竹工芸作家が生まれ、中でも、昭和42年には別府市におられる生野祥雲斎さんが、竹工芸では初めての人間国宝になったのです。ここでは、竹細工を体験できる催しを最後にご紹介しましょう。

 

 

別府市の伝統産業会館にて、天然素材を使って、手作りの竹細工に触れてもらうイベントを行います。コースターや手鈴、花籠などを3百円から5百円程度で、しかも、230分程度で体験制作ができますので、温泉だけではなく、竹細工を体験されたら、いかがでしょうか?

 

伝統産業:伝統産業青年会の発足

伝統産業:伝統産業青年会の発足

 

伝統産業を見直すことが、果たして、日本の各地でどの程度行われているのでしょうか?というのも、どんどん大都会へ若いものが流出している現代には、地域の伝統産業を見直すことで、それを防ぐことができるかもしれないからです。地元を支える人は今では、世代が変わっていかねばならないはずだからです。

 

 

 

例えば、幸いにも、親が何かの伝統産業にかかわっていたおかげで、幼いころからそれに触れている青年は、その跡を継ぐ気持になるかもしれません。例えば、大阪には、刃物つくりと言う伝統産業があるのですが、刃物つくりの職人の息子さんは、これがとても恰好いいと、幼い時から、後を継ぐ気持を持っていたと言います。

 

 

 

ともすると、若い人はいなくなり、その背景には伝統産業を受け継ぐに足る様々な条件が満たされていない場合が多いからだと思うと、ここで一発、伝統産業を見直し、復活させる動きが必要にはならないだろうか、そんな思いはだれにでもあるはずです。若い人を都市部から連れ戻すためにも、そして商店街の復活を再現させるためにも、地元にあった伝統産業を見直したいと思います。

 

 

 

そんな折、たった一人で「伝統産業青年部」を発足させた若者がいました。伝統産業を守ろうという目的で、全国の伝統産業を紹介しようとしているのです。そのいくつかをご紹介しましょう。

・高岡市古城公園にで、高岡開町400年記念事業 として「高岡築城まつり〜大石曳き〜」が開催されたのですが、これは、高岡城の石垣から築城体験ができるものでした。

・かほり展東京「くらしに生きるかほり」展では、付加価値の高いものづくりを目指し、日本一の国際見本日を開催しました。

・京都伝統産業青年会では、若手職人が製作した工芸品が展示されました。

積極的は技術のPRや販売をすることで、新規販路の拡大を行い、伝統産業を披露、浸透させたいものですと、青年会の発起人は述べています。賛同できる方は是非とも「伝統産業青年会」で検索をなさってみてください。

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